インプットとするか否か

24時間365日戦える営業マンを作りあげます。ホームページコンサルタント山田直毅(なおたか)です。


日々、日常、様々なことがおこっているんだけれど、それを自分への「インプット」として認めていないことが多い。普通になりすぎて今さら刺激にもならないという感覚なのだろうか。しかし、そもそも、慣れてしまうことは危険なことだと思う。


美味しいものを食べた時はいつでも「おいしいなぁ」って口にしたいし、人に有難いことをしてもらったら、毎度のように「ありがとう」と言いたい。慣れてしまったら、そういう「大事なこと」をしなくなってしまうんじゃないかと不安になる。


こうやって毎日のようにブログを書くようになってインプットの間口が広がった。インプットとして認めることでアウトプットを作り出せるようになる。


書くことが無いなぁと思う時。インプットがなくなってしまってるんじゃないだろうかと思う。時間に余裕がないとか、感受性を失っているとか、そもそも何もしていないとか、ネガティブな理由があるんじゃないだろうか。


「インプット」足りてますか?